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「風間杜夫ひとり芝居」会員の感想

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20代
風間サンが芸達者なのにおどろいた。そしてあの長さ。団塊の世代の男性が、二十数年間もの日々の記憶を喪失してしまうような生き方をしていることも(記憶喪失というアクシデントで忘れてしまうというストーリー展開にも)新鮮な驚きがあった。身近な同世代の男性でそっくりな人がいます!団塊の世代が時代や働くことに流されて生きる意味を喪失している哀しさがよく表現されていました。もう少し、世代の背景や生活史がうきぼりになれば二十代の私たちにもわかりやすくなったかなと思います。年配の方たち、十代の方たちの感想をよむのが楽しみです。
「風間杜夫さんの実力を見た!!」という感じでとても素晴らしかったです。歌もうまくて感動。
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30代・女性
もっと多くの人にみてもらいたい。すごくおもしろいです。
演技が上手なのは知っていたけど、歌やものまねがとても素晴らしかった。ずっとファンでしたが、この舞台を見てもっとファンになりました。
とても楽しく最後まで見させていただきました。歌もおしばいもとても上手で、三時間たったのもうそのように、あっという間の有意義なひと時でした。またみたいです。 村井
熱演に感動!身近な(?)テーマを扱っていて良いです。
幕が上がり、風間杜夫さんが登場した瞬間、舞台に引き込まれました。その後も、登場人物が何人も居るような気がしてなりませんでした。また、ある場面では自分の父を見ているようで、ある場面では夫を見ているようで、笑ってしまった。
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40代・女性
二十五年前に大阪の毎日ホールでみた蒲田行進曲の風間さんの演技を思い出しました。銀ちゃんではない風間さんでしたので、その時のことですね(?)。今まですっかり忘れていました。当時もすてきでしたが、今もすてきな風間さん、私の中でこの二十五年のできごとが走馬燈のようにかけていった。それは牛山明の人生と重ねるように。二十五年前、自分の生きる道が見つからずまよっていた自分とカラオケマンが重なり、旅役者として新たにスタートしていく姿に自分自身のこれからの人生を重ねてしまった。
とってもよかったです。パワー持ちかえります!
ストーリーが立体的で良かった。
一人芝居は初めてなので期待と心配がありましたが、風間さんの演技がすばらしく、ずーっと芝居に引き込まれ、とても良い作品でした。
大変良かった(予想通り)
小学生のとき、三波春夫のたわらぼしげんばや赤垣げんぞうなど、好きでよく聞いていたので、なつかしくとてもうれしかった。一人芝居を初めて見ました。どういう風にやるのかなと思っていましたが、間とか歌とか、さすがだなあーと思い、実物を見ているにもかかわらず、テレビを見ていると錯覚したりするくらいでした。
初めてでしたが、とても良かった。
三時間があっという間でした。「かつぜつ」も良く、台詞がはっきり聞きとれました。「一人」になってからの主人公が一番活き活きとしていて、人生をリセットして自分らしく生きるというのも良いかも…と思いました。少しくたびれたお父さん達は、みんな密かにそう願っているのかもしれませんね。観て良かった!と思う芝居でした。
一挙にみられたので、つながりがあっておもしろかった。
三時間の長い舞台があっという間に感じました。
共演者がいるようでとても上手でした。
すばらしい歌声と三時間に及ぶ演技に脱帽。
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50代・女性
役者の設定、会社人間・サラリーマン・家庭の父親像など。細やかに心配りがされたセリフ、演技。久しぶりに見ごたえのある舞台でした。
一人で長時間演技され、あきることなく楽しませてくれました。歌もとても上等で本当に良かったです。
楽しい芝居でした。家族って大変…。
すばらしかったです。風間さんの演技が自然以上で、一つの人生が千・万の人生を思わせました。

風間さんの演技が大好きだから、いろいろなつかしくて。

風間さんの演技には引き込まれました。残念なのは、セリフが聞こえなかった所があったことです。
風間さんの芝居は、以前より興味があり楽しみにしており、期待通りでした。ブラウン管のイメージとは違う面も楽しませていただきました。
歌の上手な事、声のとおりの良いこと、もちろん内容もとても良かったと思います。
以前から風間さんのファンでした。本日は間近で生風間さんが見られ本当に感激!彼の多芸さに、あらためてほれなおしました。
風間さんは繊細でシャイな方というイメージがあり、私の理想にピッタリの方でしたが、大きく裏切られました!こんなにコミカルでなんと唄がお上手なのでしょう!「俵星玄蕃」はご本人もよほどお好きなのだろうと思わせる程、圧巻でした!実体験の様に中年男性の悲哀となんとも言えない「いとしさ」を感じました。カラオケマンだけで終わっても良かったかも…
途中ちょっとウトウトするところがありましたが、全体に楽しい舞台でした。風間さんは役者ですネ。
風間さんの熱演がとてもすばらしく、感動しました。久しぶりに楽しかったです。
風間さんと年代がほとんど同じなので、楽しく見られました。
カラオケマン、歌が上手でビックリしました。全然眠くなく、引き込まれました。
三部作がそれぞれ別な人物で中年男の悲哀をみせるのかと思っていたのですが、全部つながって「うしやまあきら」のストーリーなのが分かってくる展開がおもしろい。年とっても自分のやりたいことをやろうよというメッセージでもあると思った。(?)
一人で周囲の人間関係を演じ、観る者に連想させ、にくい演出だと思いました。難しいテーマではないとは云え、あれ程のセリフを覚え、大変だと思いました。見る方は疲れてくると眠くなるのですが、風間さんは迫力があって、引きつけて気取らない笑いが良かった。日頃老人介護に近隣問題など疲れているので、時々何も考えずに笑えるのがすごく楽しい。
ちょっと疲れました。休憩時間に自分の席に座ろうとしたら、他の方が座っていました。びっくりしました。遅れるとこういうことがあるのですか?
舞台の背景がなつかしい紙芝居仕様になっていておもしろかったです(カラオケマンが終了したところです)。風間杜夫はやはりTVより舞台でその力を発揮するのですね。私も含めて泣いたり笑ったり客席はいそがしい…。楽しみにしていたので大満足です。そして一人芝居の相手は観客の数だけいるのですね。私の中の登場人物に乾杯です。
とてもおもしろく三時間があっという間でした。
一人芝居とはどんなものかと思っていましたが、いろいろな大賞を受賞されて納得できる作品でした。三波春夫さんの俵星玄蕃では、雪をかきわけサクサクと柔らかい白い雪を踏みしめるところが、風間さんのはアイスバーンみたいな雪をサクサク…おもしろかった。家族の構成、会社、恋人、さまざまな情景や人々が自然に連想出来るのは、落語上手な風間さんならではの実力。同じ世代を生きているので市川雷蔵さんや小林旭さん、学生運動どれをとっても懐かしかった。数々の歌もユーモアな歌い方で楽しめました。終り方、落語のおちみたい。三時間おもしろく楽しめて、眠りませんでした。風間さんやトムプロジェクトの皆さん、ありがとう。
とてもおもしろく、色々な劇や歌、なかなかの演技、又ファンになりました。
とても楽しく拝見させていただきました。一人で大変だなあと思いました。
カラオケを使っての芝居、そのアイデアは抜群。風間さんの演技はまあまあ。一人でミュージカルとまではいかないが、客席と一体となりよい。
あっという間の三時間。
風間杜夫さんのイメージとぜんぜんちがい、とても好印象。ファンになりました。
とても良かった。ここのところ、よい作品を観ることができとても満足です。
風間杜夫のエンターテイメントにまず脱帽。三時間の長さをストーリーと演技でしっかり見せてもらいました。自分のやりたいことを見つけ、それができる喜びは何物にも替えがたいものですね。
とにかく素晴らしかったです。風間さんは歌うまし、口跡よし、味があり、情感豊か。この長丁場をひとりでびっちりつめて、たっぷり楽しませてもらいました。内容も人生の虚実のあいまを揺れ動く一人の男の後半生、泣けました。(最後のごあいさつも彼の人柄が伝わり、ほのぼのでした)ありがとう。
長時間の「一人芝居」どんなものかと思っておりましたが、期待以上におもしろくて楽しく過ごすことが出来ました。サラリーマンの悲哀を見事に演じられて感激しました。残念なことにお芝居の間や休憩時間に劇場内でサンドイッチを食べたり、飲み物を飲んだりと、それもKEEP席の方がされていました。もっと大人としての行動をしていただきたいです。とっても不快でした。
見ていて引き込まれ、とても楽しい、すばらしい。
久々のヒット作品、とてもおもしろかった。風間がgood。
大熱演で良かったが、少し長かった。いつもになく咳がうるさかった。
久しぶりに本当に楽しかった。風間さんの人柄がにじみ出ていました。
人生、自分のやりたかった事は何なのか、後半であってもそれを見つけ出せるのは幸せの一つなのでしょう。楽しいお芝居でした。
笑いの間が(?)、いつの間にか舞台にひきこまれ、ほろりとしたり、何人ものお相手がいたり、とても楽しかったです。
芝居は良かったのに、会場の空調がひどく気分が悪くなった。とっても残念!
風間さんには「人間合格」での印象が強かったのですが、これほど多種多芸のある方とは失礼ながら思いませんでした。さすがというか、これぞ役者さん。すっかり魅力にはまりました。
カラオケマン−団塊の世代の男性の複雑な思い(様々な人に気を遣い、でもその時々で自分も楽しみ、でもこんな人生で良いのかとふと思う)が、良く表現されていました。風間杜夫さんの熱意あふれペーソスのある演技、すてきでした。黒子の動きも無駄のないもので、細部にもよく気配りのある演出だと思いました。
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60代・女性
私が演鑑協に入会し初めての芝居が故名古屋章さんと風間杜夫さんの二人芝居「すててこてこてこ」でした。あの時は席も後ろの方で、声の響きも今一でした。ずい分と月日も経ちましたが、今回の風間さんは、演技もさることながら、カラオケマンでの歌いっぷり、特に発声が良く、聴かせて観せてととても良かったです。女性のファンが多いのも頷けました。 鈴木和子                        
風間さんの舞台は初めてでしたが、熱演で、三時間楽しませていただきました。九月に入会されたお友達も良かったと喜んで下さいました。
一人芝居なのに何人もの出演者が存在しているような見事な表現力だった。サラリーマンの世界の絵空事でない、もっときびしい現実を何て明るい表情で声で演じて、暗くならないで笑い飛ばしてしまったことか。最後に好きなことをやっているからちっとも疲れないと風間杜夫さんの言葉、実感!団塊の世代の風間杜夫さんの明るい力強さ、期待しています。
一人芝居、初めてでしたが、とても感動しました。役者さんて大したものだとつくづく思い、ファンになりました。

大いに笑って楽しみました。風間さんの豊かな感性と芝居に対する情熱が伝わり、気持ち良かった。又お願いします。 鈴木恵美子

一人芝居なのに自分が参加しているような錯覚にとらわれて面白い。数年前に南公会堂でのイベント「瞼の母」に妹役で出演したことがあり、思い出していました。
もうびっくりでした。風間様の一人舞台、初めて。又ファンになりました。 丸野恵美子
席が前の方だったので息使い、顔の汗、涙、しわ、すべてが見えて、何か一体になった様で、役者に夢中になるという感じを初めて理解しました。
風間杜夫さんにびっくり。つかさんのころから見てきましたけど、落語、歌の上手さにもびっくりです。
  とにかく上手、人をひきつける。間の取り方がとびきりうまい。私も指導を受けたら少しは出来るようになるかしら。人を感動させるお仕事ってすてきですね。
全て素敵!!もっと若かったら弟子にしてもらいたい。全てが上手!!
とても楽しい気分です。エネルギッシュなパワーがみなぎっていました。
ユーモラスな中にも人生の悲哀をこんなに上手に長時間を一人だけで演じられた風間さんに感動。大ファンになりました。
あらためて芸人と感心しました。多芸でないと一人芝居はむつかしいでしょうに…。すばらしいと思います。
役者魂をいやという程感じさせられました。演技のパワーはもとより、観客を楽しませる余裕もあって、風間杜夫を見直しました。立派!!
一人芝居は初めてみましたが、芸のうまさに引き込まれました。時間を感じさせませんでした。 松村
とにかく面白かった。風間さんのエネルギーと演技力に感服!元気をもらいました。次の舞台も楽しみに待っています。ありがとうございました。
風間さんの熱演で楽しませてもらいました。一人であの膨大なセリフを淀みなく次から次へと喋る技、天才的と思いました。歌も上手でびっくり、歌手になってもいい位。三幕目は哀愁がにじみでていてホロリとなりました。 近馬みよ子
風間杜夫さんが、あんなに歌が上手だったとは驚きました。楽しかったです。
風間杜夫の演技、とても良かった。台詞もいいものが?多かった。現代に問いかける台詞も多く、今迄の中で一番印象に残ることでしょう。拍手。そしてありがとう。
風間さんのエネルギーはすごい。こんなに歌が上手だとは…、びっくりしました。サラリーマンのかなしくってちょっとホロリが良く出ていましたね。
音楽のボリュームが大きすぎる(席十二列目)
風間杜夫さんを見直しました。声はよいし、場面に適した演技は絶品です。楽しく拝見しました。特に今回は夫婦で来ましたので。今後から一回限りの単発観劇は出来ないでしょうか。期待します。
少し間延び。長すぎ。途中退席した。
何時も役者のセリフを聞き取ることが大変なのですが、さすが風間さん、努力しなくても意味もよくわかりました。芝居はこうでなくては!
久しぶりに楽しい思いをいたしました。風間さん大ファンです!
風間杜夫さんの芸には感心しました。前からファンですが、とても良かったです。ありがとうございました。大いに楽しめました。
とても楽しく拝見しました。どこの家庭での平凡な会話の中で重ね合わせて見ておりました。風間さんの新しい一面を見た思いです。歌も大変上手ですね。一人でこれだけ大勢の方を集中させるなんて、とても感心しました。風間さんの人間性が感じられてとても楽しい素敵なお芝居でした。ありがとうございました。
久々に腹の底から笑って、そして歌のうまさに感動しました。風間杜夫さんの多才な芸におどろきです。本日は来て本当によかったと思っています。
風間杜夫さん、すべてがとても良かったです。こんなに楽しい方とは、印象が変わりました。今後も楽しいお芝居、ご活躍を期待しています。
風間杜夫さんの人柄に、面白さにすっかりとりこになりました。とてもすばらしかった。
三時間ひとりで、観ている人をあきさせず、楽しく人生を考えさせられました。好きなことが出来る、現代ではなかなかむつかしく、やれている幸せを感じました。
期待していた以上でした。ほんとうの自分が解らないうちに人生のレールに乗ってしまい、しゃにむに生きて大切な物を失って、記憶喪失ということでしか実現できなかった夢、という決して軽やかでないテーマを軽やかな台詞と軽やかな所作で、私達をずんずん舞台に引きづり込み、あっという間の三時間でした。笑っては涙、泣いては涙。すばらしい時間を持てた満足と幸せな時間でした。すごいすごい風間杜夫さん。ありがとう。
テレビでの風間杜夫さんしか知らなかった私ですけど、今日の一人芝居を見て風間さんの奥行を感じ、とても素晴らしい三時間でした。今後は落語を聞いてみたいと思いました。
公演中、ビニールの音が非常にうるさいです。
ひさしぶりに楽しいお芝居でした。
大変楽しい。大声で笑いました。そして考えました。
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70代・女性
暗やみの中でセットは大変でした。スポットライトはあったが。
しっかりした演技にすばらしい時間を頂戴した。嬉しい限りです。
今回はじめて参加させて頂きました。久しぶりの芸が見られて楽しかったです。一人芝居のせいだったのでしょうか。
風間さんの一人芝居、本当に感服です。歌もこんなに上手いとは思いませんでした。 エーデルワイス 長野昌子
今までで一番面白かった。テレビの風間さんとの意外性にはびっくり。ファン倍増!素晴らしい。
面白かった。 佐藤カヤ子
久しぶりに楽しませてくれる舞台でした。
カラオケマン、全く意表をつく幕開きに驚かされました。格好良かった。歌を存分に楽しませて貰いました。最後が最高。いよーもりお!と声をかけたかった。
久しく風間杜夫さんみてなかったし、一人芝居三時間も熱演されて、感激でした。もとより芸達者な俳優さんですから当然のことなのでしょうが。今まで観た演劇サークルの中では一番良かったと思いました。皆さんも喜んで、楽しんで。
カラオケマン、歌も上手く楽しかった。
泣いて笑って…。とても良かった。サラリーマン人生をよく表している。風間杜夫の演技に感動しました。
すべて良かったです。楽しい時間をすごせました。又、風間さんのを観たいです。
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30代・男性
一人芝居に興味があり観に来ました。さすがの演技力に大満足でした。
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40代・男性
バックミュージックが大きすぎて音が割れている。セリフが聞こえない時があった。テーマも良く分からないし、何を演じて見せたかったのか?黒子は音もなく劇のじゃまをせず良い動きだった。
実に久しぶりに演劇を観ました。とても楽しく充実した三時間でした。「カラオケマンは私だ。」と思わず言いたくなるような内容でした。風間さんは本当に「役者」ですね。素晴らしかった。 戸波英範
風間杜夫さんの大活躍に、ひとり芝居を感じさせない手ごたえがありました。歌のうまさにもおどろきました。三波春夫、亡くなったいなかのじいさんの好きな歌手で懐かしくききました。
楽しい時間を過ごせました。
だめです。ストーリーがわかってしまう。くさい。大衆。他でやって。
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50代・男性
やっぱりウマイ。
風間杜夫さんの演技は素晴らしい。ひとり芝居でありながら、それを感じさせない熱演でした。カラオケマンのサラリーマン、同年代なので気持ちがよくわかり、引きこまれました。終了後のアイサツ、とてもよかったです。風間さんのファンになりました。
風間杜夫のエネルギッシュなパワーに圧倒された。
風間さん、ありがとう。同世代人として勇気をもらいました。人生捨てたものではないですね。
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60代・男性
久しぶりのお芝居いいね。これからも楽しみにしています。軽いテーマの方がいいね。
カラオケマン:人生には常に反省と前進があるようです。教訓を学びました。母親とのヤリトリに自分の人生をダブらせ、そのままの道を見出すことは常道でしょうか。
大変面白かった。
カラオケマン、ナンセンスだが面白かった。カラオケ時の音量が大きすぎるように思う。全部が関連しているとは思わなかった。通してとても楽しかった。
まずイントロが良い。「俵星玄蕃」の朗々たる歌声に圧倒され、大いに笑いを誘いながら、やがてサラリーマンの悲哀にホロッとさせられる。三部作を演ずる中で、大人から子供へと段々に戻り、甘くてほろ苦い人生の深い味わいも感じました。団塊世代をはじめ、男性の多くに見てもらいたい良い芝居でした。         池田陽一
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70代・男性
肩のこらない面白いお芝居でした。
風間杜夫の芝居は(映画・TVは見たが)初めて。素晴らしい。 島村暁巳
いやはや実に可笑しく、傑作なひとり芝居だった。三部作を通して風間杜夫の多彩ぶりを十分味わった。三部作それぞれの本質は、家族の絆、老母(はは)の労わりに通じるもの、それだけに観客の共感を呼んだのではなかろうか。全体を通して、奇想、心意気、迫力、円熟、無邪気、悲哀、孤独、寂寥、喜怒哀楽、そしてタフで粋な演技力、風間杜夫の一人芝居は底知れぬ笑いの夢の中に、なんとも言えぬ市井人情の哀歓が、ほのかに漂っている。再度観たいものだ! 四季 花島和夫
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特別寄稿
俺たちに夢はある J=P・田村
 開幕がいきなり『俵星玄蕃』。風間杜夫の、三波春夫を意識した宴会芸の衣装に身を包んでの、振りを交えた熱唱。第1部『カラオケマン』である。ともかく達者である。歌、節、語り、台詞とつづく一曲で、開幕早々感心させられた。これは観客一般が思い描いていたカラオケ選曲の裏を掻くものであり、わたしにとっては痛快な一撃だった。石原裕次郎でも美空ひばりでもなく、三波春夫ときて、それでも『チャンチキおけさ』ですらない。忠臣蔵を主題にした8分を超える浪曲テイストのこの曲を、冒頭に持ってくる衝撃で、すっかり作家の思うつぼにはまった。
 どうもわたしは一人芝居にも風間杜夫にも縁が薄い方だった。風間作品としては、名古屋章との掛け合いで緊張感のみなぎっていた『すててこてこてこ』は面白かったが、つかこうへい作品などで活躍していたころの彼は知らない。どうも彼の持つ頑張り具合の健全さ、若さ、やんちゃっぷりに、ついていけない違和感を感じていた。それが本劇中で、「還暦だってもうすぐだ」と語る彼のふやけ具合はどうだ。第2部以降、社会人としての記憶を失い、少年の頃の夢だけを鮮明に抱いているというこの人物は、当然精神的にも家庭的にも社会的にも、不健全な人生を歩んできたはずである。その不健全さが風間に染みついている、こびりついている、匂い立っている。この人物は、何も取り立てて社会を破壊するような過激な人生を突き進んできたわけではないし、人並み外れた才能を生かして英雄的な人生をたどったわけでもない。その場しのぎも多かったが、周囲とのトラブルが起きない程度に、自分の享楽を追究しただけだ。いわばどこにでもいる定年前の日本男性だ。その不健全さは常識的な不健全さである。風間のユルサとは、不健全を社会的常識の域まで普遍化した上での表現なのである。だからリアリティがある。説得力がある。しかもユルイというのは、押しつけがましくないということである。もちろんパワーが衰えているからこそ、現代のオヤジ表現として完成されているのである。その完成度の高さと3時間に近い舞台を一人でやり遂げてしまう底力に、正直感服した。
 例えばそのオヤジ表現として、カラオケボックスでの、不倫相手の若いOLとの会話に出るいやらしさは格別である。歌いながら足でちょっかいを出す。「人と用(一青窈)?何の用?」なんてオヤジギャグを連発。家庭を棄てて一緒になってくれとせがまれれば、不倫関係で我慢するのが最初からの約束だからというだけで取り合わない無神経さ。挙げ句の果てに「そんなことよりも歌おうよ」といいだし、恋愛関係の機微は全くない。また家庭やカラオケボックスでの、電話口の対応も絶妙である。部長、兄、兄嫁と相手によって変わる声のトーンや体勢。電話口だけではなく随所でも見せる、顔だけ正面に向けた直角のお辞儀。仲人の原稿を思案中のコーヒーを飲む仕草や、自分の原稿に対する妻への自慢めいた言動もいい。
 また、カラオケが演劇の主題となるなどとは、コロンブスの卵のような発見であった。主人公ははじめ「わたし歌は好きなんです」というが、自身の歌との関わりを振り返っていくうちに、その前提が次第に揺らいでいく。学生時代デモ行進で歌ったインター。革命とか闘争とかに興味があったわけでも何でもない。ただ単に彼女につられて加わっただけ。会社の接待では相手の好みに合わせて、自前で衣装を揃えてカラオケを練習し披露する。三波春夫が石川さゆりに急遽変更されても対応可能でなければならない。社内で付いたあだ名が「カラオケマン」、むしろ揶揄の対象だ。だから若い連中と一緒に歌って楽しむというわけではない。やがて「本当に歌いたくって歌ってるのかわからなくなる」といい出す始末。若い不倫相手に関係の改善を求められて、はぐらかしのために歌う二人の思い出の歌。仲人をする羽目になった会社の部下の結婚式で起こったトラブル。我慢しきれなくなった不倫相手が、仲人席で妻に二人の関係を暴露してしまう。このときもカラオケで熱唱してその場を誤魔化しているのである。ちなみに選曲は冒頭と同じ『俵星玄蕃』、忠臣蔵は大願成就の吉例ということか。カラオケなんて、所詮は機械相手である。果てには点数表示で評価までされたりして、人間としての主体性はどうなったんだという疑問まで浮かんでくる。かつては歌は、歌声喫茶や新宿の公園の合唱のように、人間を相手に、あるいは歌うものと聞くものが、たとえ一瞬でも共同体的な関係を築いて、存在したものだと述懐する。それが暗くて狭い空間で、片手にリモコン、片手に選曲集といったスタイルで、歌は自閉化していっている。カラオケマンはそういう自閉化した、独りよがりの存在に授けられた称号だ。
 結婚式の最中に、母の急死を迎えた主人公は、優しかった母への追慕をきっかけに、母を大事にしなかった自分の、家庭も仕事もその場しのぎの自分の、駄目さ加減と突然向かい合う。夫の不倫を疑う妻を誤魔化し、予備校生の長男を励ましたり褒めたりすることもなく、小言を口にするばかり。結婚していく部下には、祝福の言葉ではなく結婚の幻想を得意になって説き、さらには披露宴の料理が不味いとけちまでつける。不倫相手のOLに対しては、お年頃である女性心理も思いやらず、自分の都合ばかりで関係を正当化する。たいていの場合、はぐらかしに使うのが歌だ、カラオケだ。本当は心のこもった言葉、会話こそが大事なのに。メロディやリズム、振り付け、ノリで誤魔化してきたのである。『俵星玄蕃』のような大曲を練習する暇があったら、いくらでもできた努力から逃げていたのである。自ら選んだのか、妻の助言の結果決定されたのか、仲人の挨拶にあった「結婚とは長い会話である」というニーチェのマキシムは、痛烈なアイロニーである。恋に破れたニーチェが、精神病院で生涯を終えたという点を第2部、第3部との関連で対比する必要はない。ただたんに機械相手の歌は、会話の代用にはならなかったということである。主人公は、自身をめぐる閉塞した人間関係の元凶が、カラオケマンとしての自身の在り方にあったと気づいてしまった。思い出に浸る主人公が母と共有していた歌を口ずさみながら、「あの日もこんな空だったね」と夕焼け空を仰いで幕になる。
 第1部は、一人舞台というジャンルにおいて、ある種の挑戦といっていいくらいの完成度に達している。三波春夫、小林旭、サザン、ハマショウ、野口五郎、石川さゆり、吉幾三と各ジャンルの歌を、次から次へと振り付きで披露するエンターテインメント性。家庭や会社の問題の他に、不倫、結婚式、母の急死といった事件の急展開。またカラオケと現代人の関係性を主題におくうえで、一人舞台という表現形態はきわめて効果的であった。そんな第1部であるが、作品はここで完結していても悪くはなかったものを、3部作完全版として見ることができた。これは幸運であり、驚きでもある。各部は別々の時期に書かれたものであるらしいが、どの時点でこれら連作の全体像が構想されたのか、創作のプロセスとしてとても気になる。3作はそれぞれ独立作品としても、1本の作品としても優れているからである。
 第2部『旅の空』は、普段着姿の中年男が、突然記憶喪失になり、交番に転がり込んでいる場面から始まる。記憶喪失というモチーフは、非日常的設定としては演劇的に陳腐である。それを風間は、大人時代の記憶を失ったために、かえって容易に少年時代に飛躍できるようになった男のファンタジーに仕上げた。第2部は何の情報もなく観劇すると、第1部と関連のない物語ととられかねない。主人公をめぐる情報は一切ないままだし、記憶を取り戻そうと努力する彼の言葉に、わずかに第1部と共通のネタや固有名詞が出てくるだけだからである。第3部で主人公の息子が登場して、彼の名前を明かさなければ、第1部、第2部が円環的に連なることはなかった。それほど全3作の構成は劇的だし、第1部と第2部は断絶しているのである。スピーディーな展開で、過剰なまでのサービス精神と意外性で突っ走った第1部に対して、第2部はノスタルジックでロマンティックな、落ち着いた趣に仕上がっている。この対比が絶妙で巧いと思う。そして第1部と第2部は、動と静、急と緩の対比だけではない。自分喪失という現象の対比である。会社や家庭の中に埋没して自分らしさを失い、カラオケ曲中の人物や物語に逃げ込んだ男と、記憶喪失によって、家族や仕事どころか、少年時代の夢以外のほとんどの記憶を失ってしまった男の対比である。そして第1部の男は破滅的で、第2部の男は穏やかである。この差は夢の及ぼす力によるのであろう。
 当初は記憶を取り戻そうと努力をしていた男は、何日かするうちに意外なことをいい始める。「(過去の経緯一切)チャラですよ」「一からやり直せるのだから記憶喪失でよかったのかもしれない」と。自分喪失が自分探し、自己実現へと急展開する劇的な台詞を、風間はこともなげにポロリと口にする。ここが巧い。つづいてわたしたちは、2つの劇中劇を見ることになる。少年時代の人気者の芸の再現と、記憶を取り戻すためのリハビリの一環としての、家族での会食場面のイメージトレーニングである。両場面は第2部の中心になる見せ場である。話芸には造詣の深い風間だけあって、柳亭痴楽の「痴楽綴り方教室」も面白かったが、個人的には中村錦之助の『関の弥太っぺ』の一場面の再現が嬉しかった。盥、風呂敷、箒でこしらえた股旅姿も見物のノスタルジーを刺激する。家族会食の場面の直前には暗転が入り、第2部がまだつづいているのかどうか瞬時には判断できない。記憶喪失の男が回復したのか、あるいは別の物語である第3部に移っているのかと戸惑ってしまう。第2部開始前にはあった休憩が、第3部開始前にはないからである。われわれは懐疑的になって、改めて舞台に感情移入し始める。これも作者の思うつぼである。結局そのどちらでもなく、依然男は、記憶回復のためのリハビリ中である。劇中劇で、近松的な虚実皮膜の緊張感が得られたときは、得した気分になる。しかしこの家族会食場面での眼目は、なんといっても男の娘への説教であろう。可愛い娘に、男性への警戒を説き始めるのであるが、次第にエスカレートし、「駄目男論」が「男否定論」にまで暴走していくのでる。もちろんその「男」は自身を投影している。
 少年の頃の憧れや旅の記憶だけを確かなものとして、病院を去る男が、空を見上げる。舞台装置が移動して、青い空と白い雲が背景に浮かぶ。少年の頃の一人旅の空を思い出して、「あの日もこんな空でしたね」。記憶を失ったことで、中年のくたびれた男が、もう一度少年の日の夢を実現するために旅立っていく、美しい場面である。こうして彼を送り出してみると、あの会食場面は、家族とのお別れの儀式だったのかもしれないとも思えてくるし、関係性において依存ばかりを求める現代人は、もっと一人になる場面が多い方が、健全な生活ができるのではないかとも思えてくる。
 その乾いて高い空のまま、第3部『一人』は始まる。錦之助に憧れていた男は、大衆演劇の座員となり、『瞼の母』の端役で巡業中である。上手くいえない台詞を公園で練習している。サラリーマンでいうなら、定年間近の年齢での人生のやり直しである。記憶力・判断力・体力のどれも相当衰えているはずなのに、この気力の充実は目を見張るものがある。青年にとって未熟は情けなくつらいものに違いないが、年輩になって感じる、かつてできたことができなくなっているという脱力感、虚無感の方が深刻なのではないか、と最近は思う。が、そんな悲惨さが、ここには感じられない。男は幸せなのだ。夢の実現に向かって歩んでいるからである。自分探しに未来はあるが、自分喪失にはそれを期待できない。彼はこれを見事に逆転させた。いや運命的に、というべきかもしれない。その意味で第3部は、第2部の旅立ちにストレートに繋がっているし、第1部幕切れのホームの場面から、鮮やかにタイムスリップして、夢復活の物語になっている。
 舞台となる場所が公園であるだけに、いろいろな人物を登場させることが可能である。そしてその誰もが、不安や不満を抱えて自分探しをしている。公園とはいつからそんなところになったのだろうかと考えさせられた。ようやく第3部まで来てみると、カラオケボックス(スナック)、結婚式場、駅のホーム、サウナ、レストラン、そして公園と、パブリックスペースにおけるコミュニケイションのねじれ現象が羅列されているようだ。本来公園とは、憩いの場の代名詞ではないだろうか。それがいつのころからか、ゲートボール老人専用の活動場所となるところもあり、老人同士の暴力事件や、不審者による老人襲撃事件があったりもした。こんなことも思い出す。数年前、ク・ナウカの野外劇に訪れた日比谷公園で、ホームレスが通行中の年輩女性の持ち物に手をかけ、暴言を吐いている場面を目にした。そして公園中がホームレスの「ホーム」だらけだった。もちろんホームレス全般の問題ではないではないが、少なくともこの公園は荒んでいるなと思った。この日本初の西洋式公園の中には、一方で老舗の洋食レストランがいまだに営業し、その隣接する空間には独自のトポスを求める劇団の公演がある。公演終了後そそくさと立ち去った。第3部劇中でも、男はまずホームレスに間違えられている。少なくとも、それが公園という空間で思いつく典型的存在の一つであるのだ。
 男と一緒に台詞あわせをしたり、台詞を披露したりする人々は、どれも日常生活の中で自身を保つバランスを危うくしている。児童劇団員並の表現力を持つ小学生は、親の圧力に押しつぶされそうである。自身を二十歳といい張る老女は、家族も友人もいない。リストラされた同世代の中年男性もアイデンティティ喪失の危機にある。役者志望の女子高生には将来に対する計画性がなく、現実逃避の傾向が強い。男はそのどれに対しても受容的で共感的である。男の心にゆとりがあるからだ。他者を入れてあげるゆとりがあるからだ。男には、家族も、組織も、財産も、社会的しがらみもない。「一人の強さ」である。その分心のスペースにゆとりがあるのだ。透明だといってもいい。何か晴れた秋の空みたいである。巡業中の目撃情報がきっかけで訪ねてきた息子との関係も、ウェットなところはまったくない。ここで2年間も失踪した夫・父親を本気で捜索しない家族の現状も明らかになる。娘はパティシエ修行のためフランス留学、妻は陶芸教室がよい。「みんな好きなことやってるね」。息子の持ってきた離婚届にも、抵抗も感傷もなく判子が押せる心持ちである。泊まっていって芝居でも見ていけという父の言葉に、興味も示さず息子は去っていく。「訪ねてくれて有り難う。嬉しかった」と男は告げるが、あまりのあっけなさに、わたしは感傷的な気持ちになって、少々虚しかった。第3部の底流には忠太郎とお浜の別れがあるからこそ、なおさらである。しかし「一人の強さ」とは、こうした虚しさに負けない強さなのであろう。
 幕切れは、男が夢かなって『瞼の母』馬場の忠太郎を演じきった場面と、つづく幕切れの挨拶である。カラオケマンが「錦ちゃん」になった。ここで風間は、例の特異なお辞儀をして客席を沸かせる。心憎い落としである。第2部にひきつづき、錦之助は第3部の主要モチーフである。詳述は避けるが、『瞼の母』は、作家長谷川伸にとってだけでなく、錦之助にとっても特別な作品である。はたして演者にとっては、どういった作品なのであろうか。作者は風間杜夫に当てて作品を執筆したというが、風間の錦之助(錦之介)観が気になる。風間は主演ドラマ『銭形平次』で、平次の後見役である旗本笹野役の萬屋錦之介と出会っている。そのときに深い交流があったのかもしれない。ともあれ一人のスターへの憧れが、何もかも失った初老の男に人生の再出発、自己実現の希望と気力を与えた。それだけではない。彼は、通りすがりの元気を失っている人々に夢を説いて、励ます勇気と優しさまで得たのである。演劇世界としては素敵な話である。
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